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先哲の室
CORPORATE
先哲の室 ~フジクラの歴史~
創業者 藤倉善八
創業・黎明期
基礎確立の時代
震災復興と技術の時代
戦後復興と高度成長の時代
激動と試練の時代
グローバル化と新技術の
時代
藤倉善八
、絹・綿巻線製造開始
1885年(明治18)
逓信省創設
藤倉留吉、渡米
1886年(明治19)
東京電燈会社開業
藤倉善八、米国から大型編組機5台輸入
1887年(明治20)
東京電燈、鹿鳴館に点燈(営業開始)
東京-熱海間の電信線に12番硬銅線使用
大阪電燈会社設立
新宿御料地内の製糸場を借り受け工場移転
東京線、パラフィン線、コード類の製造開始
ゴム線の研究に着手
1888年(明治21)
電気学会設立
1889年(明治22)
東京-熱海間に電話開通
大日本帝国憲法発布
東海道本線全通
藤倉留吉、米国より帰国
工場を千駄ヶ谷900番地に移転
1890年(明治23)
津軽海峡に日本人技術者の手で海底電信線を布設
日本で初めてゴム被覆線の製造開始
1893年(明治26)
工場を千駄ヶ谷922番地に移転
岡田顕三、電線製造技術修得のため渡米
1896年(明治29)
電信法公布
1900年(明治33)
上野、新橋駅構内に公衆電話設置
創業者・藤倉善八死去(59歳)
藤倉電線護謨合名会社設立
代表社員:松本留吉
資本金:2万5000円
1901年(明治34)
日本最初の逓信省ゴム被覆線指定工場となる
旋風により千駄ヶ谷工場全壊(3ヶ月後に復旧)
1903年(明治36)
藤倉電線株式会社設立
代表社員:松本留吉
資本金:50万円
藤倉合名会社防水布製造所(現 藤倉コンポジット)設立
1910年(明治43)
熔銅・展延・製線作業開始
第3工場全焼
1916年(大正5)
多層ゴム被覆線の特許取得
「実用電線要覧」(電線要覧)発行
1918年(大正7)
知的障害者施設「藤倉学園」設立(大島)
1919年(大正8)
深川平久町の2万2000坪を買収し、工場建設に着手
1920年(大正9)
国際連盟成立
深川の熔銅工場完成
1921年(大正10)
ワシントン会議開催
深川本社・工場完成
野球部発足
大震災で深川本社・工場全焼
1923年(大正12)
関東大震災
深川工場復旧
1924年(大正13)
逓信省に国産絶縁紙による1200対ケーブル納入
鉄道省の指定工場となる
1925年(大正14)
本社新館落成
1929年(昭和4)
世界恐慌始まる
ユニット型市内ケーブル製造開始
OFケーブル製造開始
研究棟完成
1930年(昭和5)
日本初となる飛行機用電線「藤光線」製造開始
1931年(昭和6)
社標を正式登録
鈴木工作所(現 スズキ技研)設立
1933年(昭和8)
藤倉型高周波同軸ケーブルの特許取得
「藤倉電線彙報」(「フジクラ技報」の前身)創刊
1935年(昭和10)
初代社長・松本留吉死去(71歳)
松本新太、2代社長に就任
第12回都市対抗野球優勝
藤倉化学工業(現 藤倉化成)設立
1938年(昭和13)
第13回都市対抗野球優勝
藤倉航空工業(現藤倉航装)設立
1939年(昭和14)
アルミ電線製造開始
1941年(昭和16)
太平洋戦争勃発
岡田顕三死去(68歳)
藤倉型100kW同軸ケーブル製造開始
1943年(昭和18)
富士工場開設
米沢末広電纜工業(現 米沢電線)設立
1944年(昭和19)
東京大空襲により深川工場全壊
深川工場再建開始
1945年(昭和20)
ポツダム宣言受諾
石橋五郎、3代社長に就任
1948年(昭和23)
NHKに日本最初の24心TVカメラケーブル納入
日本発送電にACSR初納入
ビニル電線製造開始
キティ台風で深川工場が水害を受ける
1949年(昭和24)
1953年(昭和28)
NHKがテレビ放送開始
沼津工場完成
社内報「藤倉電線ニュース」創刊
第25回都市対抗野球準優勝
超高圧実験室完成
1954年(昭和29)
ワイヤハーネス製造開始
1957年(昭和32)
東京電力に日本初の154kV OFケーブル納入
沼津熔銅設立
多摩藤倉学園設立
1958年(昭和33)
兵藤嘉門、4代社長に就任
1961年(昭和36)
佐倉工場に日本初の66kV PFOケーブルを布設
通信ケーブルのSZ撚り方式製造装置開発
1964年(昭和39)
東海道新幹線営業開始
東京オリンピック開催
佐倉工場完成
栗山久治、5代社長に就任
ダイスタンプ式プリント配線板生産開始
1965年(昭和40)
霞が関ビルに本社事務所設置
1968年(昭和43)
東京電力に275kV OFケーブル納入
1969年(昭和44)
東名高速道路開通
鈴鹿工場完成
1970年(昭和45)
日本万国博覧会開催
木野ニ郎、6代社長に就任
社史「88年史」刊行
1973年(昭和48)
第1次石油危機
CVD法による光ファイバ母材製造の検討開始
275kV CVケーブル開発
協栄線材設立
1974年(昭和49)
電線製造業が不況業種に指定
日本電信電話公社、古河電工、住友電工、当社間で光ファイバ共同研究協定締結
日本初、平型エレベータケーブル開発
1975年(昭和50)
山陽新幹線開業
日本電信電話公社と世界初の長波長極低損失光ファイバ共同開発
東京電力袖ヶ浦火力に500kV OFケーブル納入
河村勝夫、7代社長に就任
1976年(昭和51)
高抗張力線入りユニット型ファイバ開発
日本初、154kV CVケーブル実用化
本社事務所を五反田藤倉ビルに移転
1977年(昭和52)
リボン電線、フラットケーブル製造開始
電子機器用FPCの生産開始
世界初低損失光シングルモードファイバで
0.27dB/km達成
1979年(昭和54)
第2次石油危機
メタルSPケーブル開発
シングルモード用融着接続機開発
1980年(昭和55)
新エネルギー総合開発機構発足
融雪用ヒートパイプ開発
日本初、光ファイバ複合架空地線開発
1981年(昭和56)
半導体圧力センサ開発
275kV CVケーブル納入
加賀谷誠一、8代社長に就任
佐倉光工場完成
メンブレンスイッチ生産開始
1982年(昭和57)
中央自動車道全通
東北新幹線、上越新幹線開業
日本列島縦貫用光ファイバ納入布設開始
Fヒータ生産開始
1983年(昭和58)
中国自動車道全通
フジクラタイランド社設立
1984年(昭和59)
創業100周年
世界初、コア直視型光ファイバ融着接続機開発
新社章制定
1985年(昭和60)
日本縦貫光ファイバ伝送路完成
つくば科学万博開催
酸化物超電導材料の線材化に成功
光エレクトロニクス研究所完成
フジクラフェデラルケーブル社設立
社史「フジクラ100年のあゆみ」編纂
1987年(昭和62)
国鉄が分割民営化
PCTT社、DDKタイランド社、フジクラヨーロッパ社設立
世界初、CSトロリー線開発
世界初、多心光ファイバ融着接続機開発
1988年(昭和63)
東北フジクラ、青森フジクラ、フジクラエンジニアリングタイランド社、LTEC社設立
光線路監視システム納入開始(スズキ技研)
1989年(平成元)
消費税導入
エルビウムドープ光ファイバ増幅器開発
シスコム設立
深川新本社ビル完成
1990年(平成2)
光システム開発センター完成
フジクラプレシジョン、珠海藤倉電装社設立
1991年(平成3)
富津工場完成
社名を「フジクラ」へ変更
田中重信、9代社長に就任
1992年(平成4)
新幹線「のぞみ」営業開始
東京R&Dセンター完成
500kV CVケーブル、北本光複合海底ケーブル納入
1993年(平成5)
フジクラ(マレーシア)社設立
超低損失多心コネクタ開発
1995年(平成7)
阪神・淡路大震災
普及型小型光ファイバアンプモジュール開発
1996年(平成8)
関電・電発に世界最大規模の直流500kV OF海底ケーブル納入
世界初、リサイクルできるエコ電線開発
1998年(平成10)
冬季オリンピック長野大会開催
辻川昭、10代社長に就任
新幹線用新信号ケーブル開発
500kV CVケーブル新京葉豊洲線納入
1999年(平成11)
深川工場跡地再開発「深川ギャザリア」誕生
2000年(平成12)
FESL社設立
FTTH光製品商品化
自動車用着座センサ開発
2001年(平成13)
高圧CV活線診断装置で澁澤賞受賞
地球深部探査船用ケーブル初納入
ウエハレベルパッケージ生産開始
2002年(平成14)
日韓ワールドカップ開催
色素増感太陽電池開発
中国統括会社 藤倉貿易(上海)設立
2003年(平成15)
超高速エレベータケーブル納入
2004年(平成16)
創業120周年
大橋一彦、11代社長に就任
新経営理念「MVCV」導入
古河電工と電力合弁会社のビスキャス設立
三菱電線と合弁会社「フジクラ・ダイヤケーブル」設立
アメリカフジクラ社設立
2005年(平成17)
スペインACE社の株式60%を取得
創業120周年記念事業として経営理念の絵本「飛ぶぞう。」を作成
2006年(平成18)
本社ショールームリニューアル
イットリウム系酸化物超電導線材、世界記録更新
ファイバーテック株式会社買収
2007年(平成19)
新潟中越沖地震
スペインACE社を子会社化
2008年(平成20)
長浜洋一、12代社長に就任
2009年(平成21)
タイ王国のグループ7社を統合しFETL社設立
オプトエナジー社を買収
深川工場跡地再開発「深川ギャザリア」完成
「フジクラ 木場千年の森」オープン
2010年(平成22)
東北新幹線(東京-新青森)全線開業
タイ王国の洪水で工場被災
2011年(平成23)
東日本大震災
タイ王国洪水
光ファイバの量産性に優れたVAD法がIEEEマイルストーン認定
2015年(平成27)
伊藤雅彦、13代社長に就任
フジクラグループタイ王国洪水復興宣言
フジクラ・ダイヤケーブルに産業用電線事業の製造事業及び販売事業を統合
「フジクラグループ環境長期ビジョン2050を制定
ビスキャスより配電線・架空送電線事業を譲り受け
2016年(平成28)
熊本地震
伊勢志摩サミット
「フジクラ 木場千年の森」が東京都「江戸のみどり登録緑地(優良緑地)」に登録
2017年(平成29)
イノベーションハブ「BRIDGE」を開設
2018年(平成30)
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